2009年07月04日 12:22
初めて伺った被爆者の話は2つの意味で反省させられる出来事でした。
1つはわたし自身が被爆者を画一的に考えてしまっていたことでした。
もう1つは人の古傷を抉り出すことに長けた質問と、ご自身の政治的意見を質問の形で押し付ける質問があるということでした。
幡ヶ谷の36.5℃で行われた「灯篭の会」は平和を祈るイベントだと私は思っています。
昨年8月6日に広島で、昨年の12月にも幡ヶ谷で、今年の8月にも広島で行われるイベントです。
36.5℃は「灯篭の会」だけではなくすばらしい弾き語りのライブや、愛と平和と幸せの種をまくトウキョウ・ハッピーズというグループをされていて、すばらしいライブハウスです。
昨日、7月3日は広島で被爆されたIさんがいらっしゃいました。東京生まれの88歳。
徴兵され、将校として宇品にいらっしゃるときに被爆されたそうです。
宇品は爆心地から3km離れていて、彼は幸運なことにひどい怪我もなく生き延びることができました。(後遺症についてはもっと詳しく聞けずに残念なことをしました。)
幸運も複数ありました。
爆風で怪我をしなかったことも一つでした。
それ以上に幸運だったことは、爆心地への救護活動を行わずにすんだことでした。
市街地に長く残った放射能による二次被害を受けずにすんだのです。
火災の範囲の外にいたことも幸運の一つでした。
ここで、わたしが驚いたことは、被爆された方というのは皆『原爆の図』のような姿をしていると思っていた自分自身でした。
火傷の跡も見せず、また二次災害による黒い雨を浴びなかった被爆者がいらっしゃることで私には新鮮でした。
終戦直前に、ボートで逃亡する話を上官としていたという話や、8月15日に朝鮮人部隊がお祭り騒ぎをしていたというお話。
また、軍隊生活が終戦後の生活で役立ったことも印象的でした。
たとえば人脈。努力して将校になったIさんの周りは終戦後に興銀などの一流企業に就職された東大や一橋の学生ばかりだったということでした。軍隊生活についてはもっと掘り下げて聞けたらよかったなと思いました。
Iさんのお話しをマインドマップにまとめてみました。
1つはわたし自身が被爆者を画一的に考えてしまっていたことでした。
もう1つは人の古傷を抉り出すことに長けた質問と、ご自身の政治的意見を質問の形で押し付ける質問があるということでした。
幡ヶ谷の36.5℃で行われた「灯篭の会」は平和を祈るイベントだと私は思っています。
昨年8月6日に広島で、昨年の12月にも幡ヶ谷で、今年の8月にも広島で行われるイベントです。
36.5℃は「灯篭の会」だけではなくすばらしい弾き語りのライブや、愛と平和と幸せの種をまくトウキョウ・ハッピーズというグループをされていて、すばらしいライブハウスです。
昨日、7月3日は広島で被爆されたIさんがいらっしゃいました。東京生まれの88歳。
徴兵され、将校として宇品にいらっしゃるときに被爆されたそうです。
宇品は爆心地から3km離れていて、彼は幸運なことにひどい怪我もなく生き延びることができました。(後遺症についてはもっと詳しく聞けずに残念なことをしました。)
幸運も複数ありました。
爆風で怪我をしなかったことも一つでした。
それ以上に幸運だったことは、爆心地への救護活動を行わずにすんだことでした。
市街地に長く残った放射能による二次被害を受けずにすんだのです。
火災の範囲の外にいたことも幸運の一つでした。
ここで、わたしが驚いたことは、被爆された方というのは皆『原爆の図』のような姿をしていると思っていた自分自身でした。
火傷の跡も見せず、また二次災害による黒い雨を浴びなかった被爆者がいらっしゃることで私には新鮮でした。
終戦直前に、ボートで逃亡する話を上官としていたという話や、8月15日に朝鮮人部隊がお祭り騒ぎをしていたというお話。
また、軍隊生活が終戦後の生活で役立ったことも印象的でした。
たとえば人脈。努力して将校になったIさんの周りは終戦後に興銀などの一流企業に就職された東大や一橋の学生ばかりだったということでした。軍隊生活についてはもっと掘り下げて聞けたらよかったなと思いました。
Iさんのお話しをマインドマップにまとめてみました。
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| 送信者 灯篭の会@幡ヶ谷36.5℃ |























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