秩父で、筋ジストロフィーの双子の作品を見たこと

21日はライブを秩父でしました。
ライブの後で、オープンマイク形式の朗読会がありました。
朗読会のとき、渡辺遮莫次郎(サモジロウ)さんという絵本作家が
絵葉書に書かれている作品を読み上げられました。
小林裕莉さんと麻悠さんの作品です。
筋ジストロフィーのために、生まれたときからほぼ寝たきりの生活をしている双子の姉妹の詩と絵でした。
今年で20だそうでした。
足は動かず、わずかに動く手を使って、細い線を描き、色を塗っているということでした。
一枚の絵を作るために2週間3週間の集中を要するということでした。
彼女たちの絵は線から色がまったくはみ出ないのでした。
ある形の中にモノを入れようとする強い意思が絵の中にみなぎっていて
その集中の中で彼女達の緊張が分かるのでした。
鳥や人など動くものに比べて、さくらんぼや木などの動かないもののほうを描くのがうまいな、と思っていたのですが、多分それは彼女達の動くことに対する経験の少なさから来るのではないかと、今朝思い当たりました。
彼女達は自分の知っていることのなかで、自分に見せれることの全てを描いているのでした。
輪郭の線を虫ピンのようにして色を止めているのでした。
僕はその絵を見て、自分にはたしかにさわることのできないものがあるのだと知りました。
思わず会いたいと言って、彼女の絵についての感想を詩にして渡辺さんにわたしました。
感想ではなく説明で、やきもきしました。くやしくてくやしくてしょうがないのでした。彼女にいいたいことを言い切れないのが
渡辺さんは彼女達の絵本を出したいとおっしゃっているのですが、
私には絵本よりも作品展の方がいいと思いました。
でも本という形で作品が残るという誘惑は抑えきれないのだなと改めて思いました。
秩父にきてとてもよかったと思いました。
今日は、ちょうどボランティアの公演があります。
このお話をしようと思います。
障害がある子供のためのインターネットギャラリーの書道作品より
小林裕莉さんの作品はこちら
小林麻悠さんの作品はこちら
国際ロータリー第2790地区 木更津東ロータリークラブの週報に取り上げられた二人の詩
いい詩集を日曜に買いました
日曜にいい詩集を買いました。
イギリス在住の詩人、南川優子さんの『テートモダンの一年』という詩集です。
ヤリタミサコさん主催の神保町ポエトリーリーディングというイベントにゲストとしていらしていたので買えたのです。
詩集の舞台はイギリスのテートモダンという20世紀以降の美術作品を収蔵した美術館です。
テートモダンに展示されている作品から受けた印象から一年間かけて作られた十篇の詩が掲載されています。
600円で、今彼女のページをみたら、この中の詩のいくつかが掲載されているのですが、それでも買ったかいがあったと電車の中で思わされます。
例えば
ダン・フレヴィンの『1963年5月25日の対角線』という青い対角線に置かれた蛍光灯の作品にインスパイアされた『光』という作品。
太陽の寿命が尽きてしまった町で人びとが一本だけ配給された蛍光灯を栽培するというイメージの詩です。
庭に植えると成長していく蛍光灯を粘りづよく描いている作品で、
というところのイワシを手開きにするあたりがとても臭いのあふれる描写だし、
最後の節で
といったところは蛍光灯の光だとしっていても、神の光だと感じます。
(たぶん親子愛に近い光なのでしょうか)
詩集全体として、シュールレアリズムの影響がかなり色濃いのですが、
作品の中の現実にある生活と触れ合っている部分がいいのです。
シュールレアリズムは緻密であればあるほど、
現実と夢との境目がわかっていいとおもうのです
興味のある方は南川さんのWEBページ「そふと」の「詩」の項から読んでください。ごちそうさまでした。
イギリス在住の詩人、南川優子さんの『テートモダンの一年』という詩集です。
ヤリタミサコさん主催の神保町ポエトリーリーディングというイベントにゲストとしていらしていたので買えたのです。
詩集の舞台はイギリスのテートモダンという20世紀以降の美術作品を収蔵した美術館です。
テートモダンに展示されている作品から受けた印象から一年間かけて作られた十篇の詩が掲載されています。
600円で、今彼女のページをみたら、この中の詩のいくつかが掲載されているのですが、それでも買ったかいがあったと電車の中で思わされます。
例えば
ダン・フレヴィンの『1963年5月25日の対角線』という青い対角線に置かれた蛍光灯の作品にインスパイアされた『光』という作品。
太陽の寿命が尽きてしまった町で人びとが一本だけ配給された蛍光灯を栽培するというイメージの詩です。
庭に植えると成長していく蛍光灯を粘りづよく描いている作品で、
今日も
庭の蛍光灯の色が
濃くなる
自分が育てた光で
ズボンのすそをかがってみたく
庭に裁縫箱を持ち出し
地べたに腰を下ろし
縫った
それから
泥が服にしみていくのも
忘れて
イワシを皿に積み
光の下で
手開きにした
というところのイワシを手開きにするあたりがとても臭いのあふれる描写だし、
最後の節で
ぐらつく光の前に ひざまずき
枯れませんようにと
祈る
といったところは蛍光灯の光だとしっていても、神の光だと感じます。
(たぶん親子愛に近い光なのでしょうか)
詩集全体として、シュールレアリズムの影響がかなり色濃いのですが、
作品の中の現実にある生活と触れ合っている部分がいいのです。
シュールレアリズムは緻密であればあるほど、
現実と夢との境目がわかっていいとおもうのです
興味のある方は南川さんのWEBページ「そふと」の「詩」の項から読んでください。ごちそうさまでした。
| HOME |


